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柴草玲(しばくされい) Tango de SA-GE-MA-N.

C級妄想小説「アンナの海鳴り」


この海辺の村に流れついて、どれくらい経つかわからない。
始めはたった一軒の民宿に泊まっていたが、
お金が無くなって船着き場でぼーっと座っていたところで、
彼に出会った。

海から戻って来た彼は私に、
「タバコ持ってるか?」
と聞いた。
「吸わないのよ」
私は答えた。
それから、彼は船をロープで固定し、私をまじまじと見た。
そしてニッと笑って言った。
「あんたのその白いワンピース、
ゴロツキから逃げる時のアンナ・カリーナみたいだぜ」

私は髪を直しながら言った。
「でもあんたは、ジャン・ポール・ベルモンドに似てないわね。
私、あの顔好きじゃないの。あんたの唇の方がいいわ」

「じゃ、決まった。オレの家に来な。
遠慮する事はねぇ。一人暮らしさ」


それから二人の生活が始まった。
驚いた事に彼は映画マニアだった。
酔うとよく、ベルイマンやトリュフォー、ヴィスコンティなんかについても語った。

私は料理をこしらえ、服を洗い、毎日歌いながら船着き場で彼の帰りを待った。

ある日、船から降りた彼の目が血走っていた。
「どうしたの、あんた」
「変なガイジンが、オレのマグロを逃がそうとしやがったのさ」
「なんですって!それで、あんたどうしたの」
「…モリで突いてやったよ」
「…さすが私のあんただわ」

私は彼のよく焼けた肩にキスしながら言った。
「さあ、早く帰って忘れましょう。
今日はあんたの好きなパエリアよ」

夕飯が済み、
酔って寝転がった彼が、私に言った。
「なあ…いつものやつ、たのむよ。少し長めで」
「いいけど、準備が…。寝ないで待っていられる?」
「待ってるよ。今夜はお前のあれが見てえんだ」

私はちゃぶ台を部屋の隅に寄せ、洗面所へ行き、衣装に着替える。
顔にキツいメイクを施し、髪は後ろに束ね、
両手にはカスタネット。

「起きてる?」
「起きてるよ」
「行くわよ」
「ああ、来いよ」

そして貧しい畳の上で、
愛しい彼だけのために、繰り広げられる激しいバイラオーラ。
この世でただひとつの秘密の愛のステージ。

海が少しシケて来たようだ。
波音にかすかに混ざるカスタネット。

「…なあ、アンナ」
「ハァ、ハァ、何?あんた」
「いつかピアノ買ってやるからな。知ってるんだよ。
 こないだ組合長さんの家に行った時、じっと見てたろ」
「…いいのよ…ハァ…あんたがいてくれたら」


                  (続くのかもしれない)
by reishibakusa | 2010-06-17 00:22