2010年 06月 17日
C級妄想小説「アンナの海鳴り」
この海辺の村に流れついて、どれくらい経つかわからない。
始めはたった一軒の民宿に泊まっていたが、
お金が無くなって船着き場でぼーっと座っていたところで、
彼に出会った。
海から戻って来た彼は私に、
「タバコ持ってるか?」
と聞いた。
「吸わないのよ」
私は答えた。
それから、彼は船をロープで固定し、私をまじまじと見た。
そしてニッと笑って言った。
「あんたのその白いワンピース、
ゴロツキから逃げる時のアンナ・カリーナみたいだぜ」
私は髪を直しながら言った。
「でもあんたは、ジャン・ポール・ベルモンドに似てないわね。
私、あの顔好きじゃないの。あんたの唇の方がいいわ」
「じゃ、決まった。オレの家に来な。
遠慮する事はねぇ。一人暮らしさ」
それから二人の生活が始まった。
驚いた事に彼は映画マニアだった。
酔うとよく、ベルイマンやトリュフォー、ヴィスコンティなんかについても語った。
私は料理をこしらえ、服を洗い、毎日歌いながら船着き場で彼の帰りを待った。
ある日、船から降りた彼の目が血走っていた。
「どうしたの、あんた」
「変なガイジンが、オレのマグロを逃がそうとしやがったのさ」
「なんですって!それで、あんたどうしたの」
「…モリで突いてやったよ」
「…さすが私のあんただわ」
私は彼のよく焼けた肩にキスしながら言った。
「さあ、早く帰って忘れましょう。
今日はあんたの好きなパエリアよ」
夕飯が済み、
酔って寝転がった彼が、私に言った。
「なあ…いつものやつ、たのむよ。少し長めで」
「いいけど、準備が…。寝ないで待っていられる?」
「待ってるよ。今夜はお前のあれが見てえんだ」
私はちゃぶ台を部屋の隅に寄せ、洗面所へ行き、衣装に着替える。
顔にキツいメイクを施し、髪は後ろに束ね、
両手にはカスタネット。
「起きてる?」
「起きてるよ」
「行くわよ」
「ああ、来いよ」
そして貧しい畳の上で、
愛しい彼だけのために、繰り広げられる激しいバイラオーラ。
この世でただひとつの秘密の愛のステージ。
海が少しシケて来たようだ。
波音にかすかに混ざるカスタネット。
「…なあ、アンナ」
「ハァ、ハァ、何?あんた」
「いつかピアノ買ってやるからな。知ってるんだよ。
こないだ組合長さんの家に行った時、じっと見てたろ」
「…いいのよ…ハァ…あんたがいてくれたら」
(続くのかもしれない)